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工場町の中華料理屋

 

 

 初めて訪れる取引先の工場で打ち合わせを終えたときは、もう昼休みも過ぎている時間だった。そこは工場ばかりの町で、昼飯を食べるにも付近に店は全くなかった。その日は雲一つない夏空で、ひどく蒸し暑く、ネクタイを緩めカッターシャツの一番上のボタンを外し、ひとり駅のほうへ歩いていくと、人けのない埃っぽい通りに中華料理と書いた赤い暖簾を出している店が一軒だけあった。古ぼけていて、なんだかやる気のない感じで、こんな店でも周りに競争相手がいないからやっていけるのだろうと思いながらも、とにかくくたびれて腹が減っていたので、ラーメンでも食べようと、私は木のガラス引戸を開けて店に入った。今時、木製建具というのも珍しいが、それはいかにも客が少なくて繁盛していない感じを与えた。

 

 店に入ると客は一人もおらず、中年で小太りの店主と若い男の店員がいるだけだった。壁の隅の棚にラジオがあって、ニュース番組か何かアナウンサーがひとり淡々としゃべっていた。

「らっしゃい。」

と店員が言う。壁にメニューの張り紙が何枚も貼ってあったが、ラーメンというのはなくて「ラア麺」と書いてある。4人掛けのテーブルが3つほどあって、その一つに腰かけた。

「ラア麺。」

いつもは大盛りにするのだが、不味かったらと思い、それはやめておいた。店員が持ってきたコップの冷たい水を一気に半分以上飲んだ。料理が出てくる間に、今日の打ち合わせのメモを整理していると、どこかで今時珍しいサイレンの音が鳴り始めた。

「へい、どうぞ。」

しばらくして店員がラア麺をテーブルに置いた。メモを閉じてカバンにしまい、割り箸を取ってラア麺を食べようとして驚いた。麺の上、スープの中に、野菜などの具と一緒に大きなゴキブリ(のような?)が3匹入っていた。間違って入っている感じではない。私は目を見張って叫んだ。

「えっ!あの、これ、ゴキブリが入ってる!」

店員が戸惑ったように店主のほうを見ると、店主はのっそりとカウンターの向こうから出てきて慌てる様子もなく

「それ、お嫌いですか?だったら、注文のときに言ってくれれば。」

そう言いながら、菜箸でゴキブリをつまみ取り、全部手のひらに載せると、むしゃむしゃと食べてしまった。私は驚いて声も出ず、慌ててカバンを持って立ち上がり、外に出た。

「お客さん、お勘定は?」

背後から店主の声が聞こえた。

 

 外に出ると、サイレンはやむことなく鳴り続け、晴れていたはずの空はどんよりと薄暗く、白っぽい灰のようなものがひらひらと降り落ちて地面にうっすらと積もっていた。振り返ると、店主と店員が並んで不審そうに私を見つめ、棚のラジオでは同じアナウンサーが意味の分からない文章を何度も繰り返しつぶやくようにしゃべり続け、壁に貼ってあるポスターのビールは聞いたこともないメーカーだった。

 私は呆然と立ちすくんでいた。

 

2021-09-12

​※これは随分前に書いたものですが、原稿が見当たらないので、改めて書き直しました。

 

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