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母さんロボットMAM-012

連休なので、久しぶりに地方都市にある実家に帰った。実家には父ひとり暮らしている。父は物書きみたいなことをしていて、昔から自宅で仕事をしていたが、最近は半ば引退して、やりたい仕事だけやってるらしい。

「ひとりで家事とか大丈夫なの?」と僕は訊いた。

「まあ、仕事も忙しいわけじゃないから大丈夫だよ。」

「あのさ、母さんはどこ?」

「え?ああ、倉庫だよ。具合が悪かったから、もう長い間ほったらかしだけどね。」

僕は家の外にある倉庫に行ってみた。母さんは奥のほうにあって、他のものを少し取り出さないと出せなかった。大きめの旅行用トランクぐらいのアルミケースに「家事ロボット MAM-012」と書いてあった。引っ張り出して蓋を開けると、母さんが、昔の姿のまま膝を折り曲げ目をつぶって入っていた。家に運んで居間にいる父に聞いてみた。

「母さんを起こしていい?」

「いいけど、調子が変だったから、動いたとしてもどうなるかわからないぞ。それに、ずっと電源がゼロだったから、もしかしたら記憶が消えてるかもしれない。」

 

僕の実の母は、僕が幼稚園に入る前に事故で死んでしまった。3歳上の兄もいたので、父は子供の世話に困り、人に薦められて、当時ようやく普及しはじめていた家事ロボットを買うことにした。市販されて何世代目かの機種で、外観はほとんど人間と変わらず、どこにでもいるような30歳代の少し美人で優しい感じにできていた。同じ機種でも容貌の種類は多く、同じ顔かたちのロボットと出会う確率はほとんどない。僕たちは、このロボットに名前を付けたが、すぐに母さんと呼ぶようになった。母さんは家事はもちろんだが、幼稚園や学校の行事や面談でも保護者代理として出席し、それによく遊んでくれた。買い物や旅行でも一緒で、母さんとして僕たちを見守ってくれた。この機種は日々の経験を学習して性格や個性が創られていくのだが、母さんの場合、僕たち兄弟や父が、本当の母さんのように接したので、本当の母さんのようになっていったように思う。

兄は高校を出て大学に入るとき家を出ていき、僕も同じように大学のために家を出た。母さんは、僕が家を出てしばらくして調子が悪くなったそうだ。次第にミスが多くなり、記憶違いも増えた。人間の認知症に似たような症状と言えるかもしれない。修理に出して基盤を変えると直るそうだが、そうすると記憶や学習内容も消えて、母さんではなくなってしまうということで、父は修理には出さずそのままにしていたのだが、段々と症状はひどくなっていったらしい。手のかかる僕たち兄弟が家を出て、父にとって、母さんの家事機能などを必要とすることも少なくなっていたので、調子の悪い母さんのスイッチを切り、ケースに入れて倉庫にしまっていたのだ。

 

倉庫から母さん用の充電椅子も出してきてコンセントにつなぎ、母さんをそこに座らせ、充電用ケーブルを母さんに接続した。充電インジケーターがすぐに点滅を始めたが、フル充電に数時間はかかるはずだった。

 

翌日、朝食が済んだあと、母さんを見ると充電は完了していた。

「母さんのスイッチを入れるよ」と言うと、父もやって来た。

「ちゃんと目が覚めるかな?」と父。

僕は母さんの左腋にあるスイッチを服の上から押した。しかし何の反応もなかった。何度か繰り返し押してみたが、やはり反応はなかった。

「駄目だな。ずっと無電力状態で回路が死んでしまったかな?リセットボタンもあるけど、それを押したら、もし目覚めても母さんでなくなってしまう可能性があるな。」と父は言った。

父は母さんが起動しないか、しばらく様子を見ていたが、そのうち書斎のほうに行った。僕は母さんのそばで取扱説明書を読み解決方法を探したが、よくわからなかった。

30分以上たった時、母さんが突然、目を開いた。そしてぎこちなく体を起こした。

「父さん、母さんが起きた。」僕は大声で父を呼んだ。

「おお!」父がやってきた。

「母さん!」父が母さんの肩に手をかけて呼びかけた。

母さんは父を見つめ、しばらくして「お父さん」と言った。

父は喜んで「母さん、久しぶりだけど調子はどうだ?わかるかい?」

母さんは僕のほうを見たが、誰だかよくわからないようだった。

「母さん、たつやだよ。」と僕は言ったが、母さんはただ微笑むだけだった。

 

母さんはしばらくぼんやりしていたが、時間がたつにつれ普通に動作し会話もできるようになった。昼になると以前のように料理を作り始めた。僕たちが昼ご飯を食べているあいだ、母さんは昔のとおりテーブルについて、食事はとらないけれど僕たちの会話に加わり、ときどき楽しそうに笑った。でも少しぼんやりとしていて、僕のことを昔のようにたっちゃんと呼ばずにあなたと呼ぶので本調子ではない感じがしたが、少し混乱しながらも細かいことを覚えていたり、やはり母さんだった。

 

午後になって母さんがいなくなった。

 

僕と父はあちこち探しまわったけど見つからなかった。

「何時ころ母さんはいなくなった?」と父が聞いたが、僕もはっきりとわからず、「2時か3時ごろだったと思うけど。」としか答えられなかった。

僕は街をかけ回って探した。付近は40年近く前に開発されたニュータウンで、道路は整然としている。暗くなりかけてもまだ見つからないので、また調子が悪くなって、どこかで倒れているかもしれないと思った。疲れてとぼとぼとバス道路を家のほうに向かって歩いていたら、木の陰に母さんが立っているのを見つけた。

「母さん!」と僕が呼び掛けると、こちらを向いて言った。

「坊やが、私の坊やが帰ってこないの。」

「坊やって、誰のこと?」

「たっちゃんがバスから降りてこなかったの!」

母さんは僕を見て、その美しい顔を見たことがないほどゆがめた。母さんには涙が出る機能はなかったが、確かに泣いているように見えた。

僕はしばらくしてやっとわかった。そこは幼稚園の送迎バスが停車する場所で、母さんは幼稚園児の僕がバスで帰ってくるのを、昔の習慣通り、迎えに来たのだ。

「母さん、僕がたつや、たっちゃんだよ。母さん・・・。お家に帰ろう。父さんも心配して探しまわってるはずだし。」

母さんは、僕をじっと見つめた。顔はまだ少し歪んでいた。

「たっちゃん?どうして?私は・・・わからないわ。あなたがたっちゃん?私の坊や?」

母さんは確かにロボットだけど、ただの機械じゃなく、やっぱり母さんだった。日々の繰り返しの学習で母さんの回路は、複雑に接続され絡み合い、単なる思考能力を伸ばしただけでなく、感情や愛情になっている。そのことは、かつて一緒に暮らしていた時にも感じたことだった。ただの機械じゃなく、自分が機械で本当の母親ではないことを認識しながらも、母さんそのものになっていた。

「母さんは長い間、眠ってたんだよ。僕が小学生の頃や高校生の頃のことも覚えてるでしょう?」

母さんは黙って、とぼとぼと歩きはじめた。外見は、今では僕と母さんは、それほど年齢が変わらないように見えるだろう。父には携帯電話で連絡した。

「せいちゃんは?あの子はどうしたの?」母さんが聞いた。

「兄さんは大学を出て、もう働いているよ。」

「そうなの?少しずつ思い出しそうだけど、なにか頭の中が、思い出がこんがらがって、つながらないの。」

そういうときの母さんの表情やしぐさは人間と変わらなかった。

家に着くと父が迎えてくれた。母さんは急いで夕食を作ろうとしたけど、父と僕は母さんを止めてソファに座らせた。夕食は僕が作った。母さんはソファでぼんやりと考え込んでるようだったが、そのうちに部屋の隅の充電椅子のところに行き、自分で充電ケーブルを接続し、こちらを向いてじっと座り、ときどき僕たちの会話に加わった。

 

翌朝、居間に行くと、母さんは昨夜のまま、充電椅子に座って目を閉じていた。普通なら、朝になると動き出して朝食を作ったり何かしらしているはずだったが、部屋の隅でじっとしていた。

「母さん」と僕は声をかけた。

母さんの瞼がぴくっとして、右の人差し指がほんの少し持ち上がった。でも、それっきり動かなかった。父さんも来て、ふたりでしばらく、母さんがまた動き出さないか見つめていた。

「母さん!」と僕はもう一度呼びかけてみたが、もう動かなかった。

「長い間、充電していなかったから、バッテリーもだめになってるのかな?」と父はため息をついた。

「どうしようか。しかたがないから、またケースに入れて倉庫にしまっておくか?」と、がっかりした様子で父は言った。僕は悲しくなった。母さんが生き返ったと思って嬉しかったし、もっと母さんと、僕の今の生活や昔の思い出や、いろんなことを話したかった。

「父さん、昔はロボットの基盤を交換すると、記憶も学習もリセットされたけど、最近は、そういったものを一旦バックアップして、基盤を取り換えても、また記憶や人格を復元する修理が可能になったと聞いたことがあるよ。」

「母さんのように古い機種でもそれができるとよいけど、それができるなら、母さんを一度オーバーホールしてみるか。記憶のもつれやらも、それで直るといいんだがな。」

連休が明けたらロボットメーカーに相談することにして、とりあえず母さんのスイッチを切り、二人でケースに戻し、居間の隅に置いておいた。

 

翌日、実の母のお墓にお参りしたあと、僕は都会に戻った。次に帰ってきたときには、父さんと一緒に、年も取らず昔のままの母さんが笑顔で出迎えてくれるかもしれない。

 

(2022年11月16日)

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